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榮太樓の200年史

榮太樓の歴史が3分でわかる動画

創成期-「井筒屋」から始まった- 創成期-「井筒屋」から始まった-

「さあ、江戸まであともう少しだよ」

文政元年、それまで埼玉県飯能で
菓子商をしていた細田徳兵衛が、
2人の孫を連れて江戸に出府。
現在まで続く和菓子業の礎となる「井筒屋」を
九段坂に構えました。

時代は下り、徳兵衛の曾孫にあたる
3代目細田安兵衛(幼名栄太郎)が
日本橋の袂に屋台を開きます。

栄太郎が焼く金鍔は
「大きくて甘くて美味しい」と
魚河岸の商人や
軽子たちの評判を呼び、
その噂は江戸中に広まったのです。

「家族を支える孝行息子」「気前の良さ」など、
栄太郎の人柄も愛された理由のひとつでした。

やがて安政4年、旧名日本橋西河岸町
(現在の栄太楼ビルの地)に独立の
店舗を構え、自らの幼名栄太郎にちなんで
屋号を「榮太樓」と改めました。
こうして、榮太樓の歴史は幕を開けたのです。

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飴と歩んだ黎明期-江戸末期〜戦前- 飴と歩んだ黎明期-江戸末期〜戦前-

安政年間に現在の看板商品となる
「梅ぼ志飴」
文久年間に現在広く売られている
甘納豆の元祖である「甘名納糖」
明治に入り「玉だれ」「黒飴」を創製。

梅ぼ志飴の名称は、

「鋏で切った紅色の飴を口内を傷つけないよう
指でつまんで三角形にする」

その姿かたちが梅干しに似ていることから
洒落好きな江戸っ子が名付けたもの。
また明治・大正の頃、上方の芸妓・舞妓たちが
梅ぼ志飴を唇に塗ってから口紅をつけると、
唇口が荒れず照りが出ると
東京土産に請うたという逸話が残っています。

戦前には、東京繁盛菓子屋番付
大関や横綱として度々掲載され、
東京随一の繁盛店として認知される
存在になりました。

  • 第一回内国勧業博覧会で「甘名納糖」が
    優等賞受賞

  • イギリス・ロンドンのサウスケンジントンで開催された
    「万国発明品博覧会」に参加、出品

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復興期-照度からの再建宣言- 復興期-照度からの再建宣言-

東京大空襲で日本橋店舗・工場が焼失。
焼け野原の店舗跡で従業員と共に
失意に暮れるも、
再建の意思を強く持ち、
復員してきた職人を集め
戦後すぐに復興を志します。

日本橋のお休み所として、
再建した日本橋本店内には喫茶室を開設。

昭和26年には、日本初の食品名店街で
現在のデパ地下のルーツでもある
「東急東横のれん街」の設立に尽力しました。

生産拡大のため、昭和31年には調布工場を竣工。
そして昭和37年には、創業の地日本橋に
栄太楼ビルを竣工。

敗戦後の東京において目覚ましい復興を遂げ、
事業を大きく発展させていったのです。

  • 日本橋本店内に喫茶室を併設

  • 東横のれん街設立、
    百貨店市場に初出店

  • 「抹茶飴」発売

  • 「紅茶飴」発売

  • 日本橋に
    栄太楼ビルを竣工

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高度経済成長期-「デパ地下」から全国へ- 高度経済成長期-「デパ地下」から全国へ-

全国の百貨店、駅ビルに
食品名店街が広がるのと共に、
北海道から沖縄まで全国に店舗が広がっていき、

榮太樓飴は代表的な東京土産となります。

さらに、本店喫茶室にある
「みつ豆」「あんみつ」の味を商品化。
「美味なるものの大衆化」を掲げて
専用の缶の開発から着手し、
みずみずしさと長期保存のメリットを併せもった
画期的な甘味としてお茶の間に
広く定着させました。

水ようかんとともに夏の主力商品に
成長したみつ豆は、
昭和49年よりテレビCMを放映。
「はーいえいたろうです」のジングル・ロゴが
世間に広まり、
榮太樓を象徴する
商品のひとつとなっていきました。

  • 映画「和菓子」製作 国内外で9つの賞を受賞

  • 「水ようかん」
    発売

  • 「みつ豆」
    テレビCM開始

  • 缶入り「あんみつ」発売

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革新期-変わらぬ流通と商品開発- 革新期-変わらぬ流通と商品開発-

平成に入り、量販店市場にて「黒みつ飴」
「しょうがはちみつのど飴」を発売。
全国のスーパー、コンビニ等で各種商品を
広くお求めいただけるようになりました。

続いて2007年、榮太樓のセカンドブランドとして
コスメや宝石のような革新的な飴のライン
「あめやえいたろう」が誕生。

また、榮太樓飴シリーズに50年ぶりの新商品
「のど飴」が加わり、
2009年にはインターネットの普及に伴い
「楽天市場」「老舗通販.net」などの
オンラインショップがオープンしました。

時代の変革に合わせて流通形態をシフトさせ、
従来の飴の常識を覆す画期的な商品開発を
次々と実現していったのです。

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現代から未来へ-江戸の志を世界へ発信- 現代から未来へ-江戸の志を世界へ発信-

2010年、榮太樓の名代菓子である金鍔を、
手焼きの品質を守りながら
日保ちする個包装化に成功。

2013年、八王子に生産工場を新設移転し、
生産体制をさらに強化。
同年、国産果物を使用した他に類を見ない
無香料・無着色の果汁飴5種を新発売。

「世界最高品質の飴を作る」をテーマに
榮太樓飴のラインアップを広げています。

また人々のライフスタイルの変化に合わせ、
2015年、多彩な和のお菓子から少しずつ選べる
「にほんばしえいたろう」
2017年には体に優しい糖質オフの
「からだにえいたろう」の新ラインをスタート。
一方で、なつかしい東京のお土産
「東京ピーセン」を復刻するなど、

外国人観光客からも注目される
スポットとなった日本橋から、
今日もこだわり抜いた本物の味を
お届けしています。

私たちは200周年を迎えたこれからも、
江戸から変わらぬ志を基に
東京日本橋を代表する菓子屋として
新たな発展を目指していきます。

私たちは200周年を迎えたこれからも、
江戸から変わらぬ志を基に
東京日本橋を代表する菓子屋として
新たな発展を目指していきます。