黒飴 発売(大正末期から昭和初期)
手で伸ばし、鋏で切ってはつまんでいた梅ぼ志飴を、衛生面と大量生産のためローラー成型を使用する

昭和10年以降の甘名納糖と梅ぼ志飴と黒飴の詰合せ缶栗納糖(甘名納糖の兄弟品) 発売


- 個人経営を法人組織とし、有限会社榮太樓總本鋪と改める
榮太樓二代目社長に四代目細田安兵衛が就任 
- 東京大空襲で工場も店舗も焼失
無からのスタート 
- 本店に喫茶室を併設、開店
榮太樓三代目社長に細田修三が就任
姉妹会社「榮太樓食品工業株式会社」設立 
- 抹茶飴 発売

- 量販体制をとりいれ、渋谷東急東横店「東横のれん街」に出店

- 調布工場 榮太樓食品工業の生産部門として開始

- 当時の梅ぼ志缶


- 缶入り「ゆであずき」を発売


- 地下3階地上9階の榮太樓ビルを竣工

- 焼菓子の新包装(ポリ)工法「タイトパック」製品発売。
保存が長く保たれるため焼菓子の販路が日本全国へ。
紅茶缶発売。 
- 映画「和菓子」が製作され、文部省選定など九つの賞を受賞
榮太樓總本鋪 企画
桜映画社 製作
東宝株式会社 配給
調布工場の新社屋が竣工(鉄筋三階建) 
- 梅ぼ志缶(梅ぼ志・黒・抹茶・紅茶の4種)


- 缶入り「みつ豆」販売

- 杉並区宮前に和菓子部門の杉並工場が完成
缶入り「水ようかん」 発売


- 四代目社長に細田恕夫
(後に六代目細田安兵衛を襲名)が就任 
- 販売部門の「榮太樓總本鋪」と製造部門の「榮太樓食品工業株式会社」が合併
「株式会社榮太樓總本鋪」発足 
- 和菓子部門の杉並工場を調布工場に統合

- 株式会社 シンワを杉並に設立
各種包装加工関係、その他関連した業務開始
沖縄県に合併会社「株式会社 馬天製菓」設立
県内産出原料を加工した観光みやげ品「黒糖飴」「パイン飴」生産開始 
- 高島屋とタイアップ、ニューヨークに生菓子の製造工場を設立
ニューヨーク高島屋ほかで和菓子を販売 
- 百貨店用 缶入りあんみつ 発売


ローラー成型

昭和7年~10年頃
商品配送用自動車

二代目社長 四代目細田安兵衛

1941年戦時中の甘名納糖の箱

本店正面入口(昭和22年)

三代目社長 細田修三

本店正面入口(昭和37年)

焼菓子の新包装(ポリ)工法

金賞受賞の和菓子

調布工場1号館


杉並工場

四代目社長 細田恕夫
後 六代目 細田安兵衛
襲名



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