店の入口右側の大きな『のれん』は、「日除けのれん」と呼ばれています。(別称:たいこのれん)お菓子屋の「のれん」は白地に墨字が多く、標示も屋号が多いのですが、これらは京都、大阪に多く見られます。 江戸、日本橋界隈では、「紺藍ののれんに商標」が一般的です。
江戸の時代、金貨(小判など)の発行の元締めとして栄華を極めていた大富豪の金座・後藤家が、明治維新により貨幣の発行が国営になったことにより没落。さしもの長者も家屋敷を手放さざるを得なくなり、明治22、23年頃、縁あってこの屋敷を訪れた榮太樓初代は、案内された客間の床の間に掛けられてあった丸山應挙(まるやまおうきょ)画「風鳥の図」の掛け軸と客間から眺められた庭に添えてあった「赤玉石」を見て感銘を受け「この絵とあの石をお譲り頂けるのなら、この屋敷も一緒に買い取りましょう」と申し出、その結果、家つきで絵と石を求めたのです。
安政4年(1857年)本店創業時、店の入口に敷石としてあったものです。江戸、明治、大正、昭和の時代、お客様が敷石を踏んで入店されたことを平成の今に伝えたい思いで敷石を置きました。

店内入口の「御影敷石」を囲むように、瓦焼黒タイルの床の中に幅約3m、奥行き2.3mの「真鍮製目地(めじ)」があります。 この印を設けた理由は、創業当時、こんな小さな店であったものが今日ではお客様のご贔屓のお陰で、このような大きな店になったことに感謝し、心のなかに忘れないようにと設けた印なのです。
店内入口の左側に掲げられている「榮太樓工場図」は、明治18年(1885年)ロンドンで開催された「万国発明品博覧会」に榮太樓の商品を出品するにあたり、製造工程説明のために描かれた絵です。
柴田眞哉作 中央区有形文化財 指定
