京菓子が、公家の町を背景に優雅さを持ち味とするならば、江戸菓子のそれは、金鍔に見られる、武家や商いの町が生んだ実質的な美味しさにあると存じます。「日に千両 肴(魚河岸)をはさむ、二本箸(日本橋)」と江戸川柳にその賑わいを詠まれた日本橋魚河岸で、弊鋪初代(栄太郎)は、代々の菓子商「井筒屋」を名乗り、病父を助けて、金鍔の屋台売りをしていたのでございます。親孝行である栄太郎の姿は、人情に弱く贔屓に強い江戸っ子の心を打ち、その繁盛はやがて「井筒屋」を己の名に因んで「榮太樓」と改め、今の本店の地に、ささやかな店を構えるまでに至りました。時に安政四年のことでございます。
以来、伝統を誇り、進取性を好む江戸っ子気質を菓子作りに生かし、伝承の技を基に、その時代の嗜好に応えつつ、新しい味の創造に努めて参りました。今後とも、江戸生まれの榮太樓を一層ご贔屓くださいますよう、お願い申し上げる次第でございます。
店主敬白
榮太樓創業から日本橋本店開業まで。
文政元年(1818)、それまで埼玉県飯能市で菓子商をしていた細田徳兵衛が、2人の孫(長孫安太郎、次孫安五郎)を連れて江戸(九段坂)に出府。現在まで続く和菓子業の礎となる屋号「井筒屋」を構えた。時代は下り、徳兵衛の曾孫にあたる3代目細田安兵衛(幼名栄太郎)の時に転機を迎える。栄太郎は幼い頃より、父とともに日本橋の袂にある屋台を切り盛りしていた。そこで焼く金鍔は「大きくて甘くて美味しい」と魚河岸の商人や軽子たちの評判を呼び、その噂は江戸中に広まったという。「家族を支える孝行息子」「気前の良さ」など、栄太郎の人柄の良さも愛された理由のひとつとなった。また、江戸時代には「流石武士の子 金鍔を 食べたがり」「年季増しても食べたいものは 土手の金鍔、さつま芋」といった、川柳や流行歌を詠まれた逸話もある。やがて安政4年(1857)、旧名日本橋西河岸町(現在の栄太楼ビルの地)に独立の店舗を構え、自らの幼名栄太郎にちなんで屋号を「榮太樓」と改めた。
3代目 細田安兵衛
(幼名 栄太郎)
「梅ぼ志飴」「甘名納糖」「玉だれ」を創製、知名度を広める。
安政(1854~1860)年間に「梅ぼ志飴」、文久(1861~1864)年間に現在広く売られている甘納豆の元祖である「甘名納糖」、明治に入り「玉だれ」、「黒飴」を創製。梅ぼ志飴の名称は、「鋏で切った紅色の飴を口内を傷つけないように指でつまんで三角形にする」際の姿かたちが梅干しに似ていることから、洒落好きな江戸っ子がつけてくれた。また、化粧品の乏しい明治・大正の頃、上方の芸妓・舞妓たちが飴を唇に塗ってから口紅をつけると、唇口が荒れず紅に照りが出るからと東京土産に請うたという逸話がある。戦前、東京繁盛菓子屋番付に大関や横綱として度々掲載され、東京随一の繁盛店として認知されていた。
明治中期~関東大震災までの店舗
工場図「日本製菓子鋪 榮太樓本店 製造場 略図」万国発明品展覧会に出品する際に描かれた。
復興、百貨店市場へ進出。調布工場竣工。本社ビル竣工。
東京大空襲で日本橋店舗・工場が焼失。戦後すぐに再建・復興を志す。日本橋の拠り所として、日本橋本店内に喫茶室を開設。昭和26年に、日本初の食品名店街で現在のデパ地下のルーツでもある、東急東横のれん街の設立に尽力。昭和31年に調布工場を竣工、平成25年4月まで稼動。昭和37年に、創業の地日本橋に栄太楼ビルを竣工。
栄太楼ビル(昭和37年竣工)
百貨店と共に成長。「缶入りみつ豆・あんみつ」で量販店市場に進出。CM放送はじまる。
全国の百貨店、駅ビルに食品名店街が広がるのと共に、北海道から沖縄まで全国に出店。榮太樓飴は代表的な東京土産となる。
本店喫茶室にある「みつ豆」「あんみつ」の味を商品化。「美味なるものの大衆化」を掲げて専用の缶の開発から着手、みずみずしさと長期保存のメリットを併せもった画期的な甘味としてお茶の間に広く定着。水ようかんとともに夏の主力商品に成長していく。
また、昭和49年よりみつ豆のテレビCMが始まる。「はーいえいたろうです」のジングル・ロゴが世間に広まり、榮太樓を象徴する商品のひとつとなった。
量販店市場向け商品の拡充、「あめやえいたろう」誕生、オンラインショップ開設。
平成に入り、量販店市場にて「黒みつ飴」「黒かりんとう」「しょうがはちみつのど飴」を発売。全国のスーパー、コンビニ等で各種商品を広くお求めいただけるようになる。以降、量販店向け商品もラインナップを拡充。
平成19年、榮太樓のセカンドブランドとして「あめやえいたろう」が誕生。
平成21年に「楽天市場」を皮切りにオンラインショップがオープン。
しょうがはちみつのど飴
黒みつ飴
Ameya Eitaro「スイートリップ」
「名代金鍔」の個包装化、八王子工場新設、「榮太樓飴果汁飴」誕生、「にほんばしえいたろう」誕生、「東京ピーセン」誕生。
榮太樓の礎となった「名代金鍔」を、生菓子としての美味しさを守りながら日保ちする個包装化に成功。百貨店を中心に榮太樓の代表的な進物として販売を開始。
平成25年5月、八王子に生産工場を新設移転し、飴の生産キャパシティーが拡大。同年10月、国産果物を使用した無香料・無着色の果汁飴4種を榮太樓飴シリーズとして新発売。11月、カジュアル和菓子ブランド「にほんばしえいたろう」が誕生。平成26年には江戸のつぶし餡を活かした「日本橋どらやき」を発売。平成27年3月、懐かしくて新しい東京土産「東京ピーセン」を復刻発売。平成28年秋、榮太樓飴に無香料無着色「バニラミルク飴」が加わる。江戸から変わらぬ進取の志をもとに、「和の菓子屋」として新たな発展を目指す。
現在の榮太樓工場 (平成25年竣工)
にほんばしえいたろう
東京ピーセン